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【非二元】なんちゃって非二元な話【だらだら書いてます】

   

最近、暇なときにはEckhart Tolleだったり、日本人で非二元について話している人のYouTubeを見ていたりします。

あと、先日は非二元っぽい(笑)英語の本を翻訳する仕事の依頼がありました。

この仕事は結果から言えば、翻訳不可能としてお断りしました。

非二元的なティーチャーとの対談の記録の本で、書いてあることがなんとなく非二元であるのですが、言葉の一つ一つをきちんと一語ずつ日本語に訳していくとなんかスッキリしない。自分も混乱するし、もしそれが出版されれば読者も混乱するでしょう(笑)。

そもそも、スウェーデンの方が英語に訳され、それを日本語に訳すのだから、細かな英文法のニュアンスが純日本人である僕には読み取れないですし、その翻訳を依頼してきたアメリカ人の方でもその本で意味が通らないところがあるとは言ってました。

まあ、非二元的なお話なんてマインドは理解できないよ、というのもありますけどね。

と、ピーチク、パーチク言いましたが、最近の僕個人での理解としては、他人って本当に存在するんだろうか、というところです。

小さい頃、僕が考えたのが、他人は実は僕の目の前にいない時には、その役割を終えて(友人であったり、親であったり、その他)どっかで休んでいるのではないだろうか、ということです。

僕の目の前にいるときのみ関係性があり、ストーリーがあり、存在しているのではないのだろうか、と。

まあ、小学生か中学生ぐらいの時の空想でしたが、最近の非二元の人の話とちょっと通じるところがあるかなと、思い出しました。

「これしかない」

よくじゅんころさんが話されていましたが、この「これ」。

これって、まず僕の身体があって、その感覚があって、思考があって、部屋がある。側には誰かいて、その人が何かを話している。外では工事をしているらしい音がある。

「これ」しかない。

他人と呼ばれる人も実は広い意味での自分というフィールド内に現れている人なだけであって、重量的には他人、より自分と呼ばれるものよりは離れた場所にいると分離している感覚があるけれども、自分が映画のスクリーンとすれば、そのスクリーン内にある同じもの。

他人の言動が不快を感じるのであれば、それは単に自分のフィールド内でその不快が起きているだけのこと。

金正恩もトランプも、安倍さんも、マザーテレサも、エックハルトも自分というフィールドに現れているだけの幻想なのかも。全部が夢の出来事。

ただね、まだ「私はいない」という感覚は実感できない。

自分というフィールドがあって、その上にYutakaという存在がいて、それが身体やら思考に同一化している。個に入り込みすぎているのかなー。

それで、そのフィールドに現れている感覚が嫌で何か良いものはないかとマインドを巡らせて行動をしている。

そのNOのエネルギーが強くて、それを弱めるもしくはそのNOのエネルギーに操られていることに気づくには瞑想とかEckhartの動画を聞くことなんだよね。。。

サガプリヤのいう、瞑想を始めたばかりの頃の内面は墨を流したかのように灰色だというけれども、まさにそんな感じ。その瞑想の始まりにある種の期待感が出てしまうんだけど、その墨そのものに気づきをもたらすこと、その墨自体はあっても本来の意味では何ら自分のフィールドには影響がないこと(これはルパート・スピラの誘導瞑想のようなもので実践した)を思い出すことが大事かもね。

と、だらだら書いてみた。春が来た!

 - Non-duality