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【非二元】マインドのクラック・オープン

   

この動画、だいぶ昔に見たけれども昨日また見てみました。

これタイトル忘れたけど、若者が救いを求めて色々な人のところへ行くという映画のエックハルト・トールとの出会いの部分。

20代の若者とエックハルト。

最初の公園でのシーンはエックハルトが若者に、誘導瞑想のようなことをしてくれてます。

エックハルトは瞑想という「カタチ」を取り入れることに意義を見出していないので、彼の講演においてはこういうことはしません。

この映画の中でも話をしていて流れでエックハルトが若者に「今ここ」にある状態がどのようなものであるかを伝えようとしているだけなのですけれどもね。

若者は思考に生きているので、彼の誘いにはのりません(笑)。

「僕の罪悪感、不幸をどうすれば良いのか」

という質問が何回も出てきます。

あれだけエックハルトのそばにいるのに・・・(ボソ)。

でも、覚者のトークを聞くので大事なのは、言葉をそのまま聞いて理解することではないんです。

最初は思考の部分、個の部分でトークを聞いて理解するというのが普通ではあるのですが、覚者が本当にプレゼントしているものはプレゼンス(臨在)なんです。

マインドのクラック・オープン(割れて開くこと)を起こすのを許すか否かです。

エックハルト、ガンガジなどのトークは聞いていて、彼らのプレゼンス(臨在)が私たちのボディ・マインドを包み込みます。*正確に言えば、「彼らの」プレゼンスでもないのですが。

それがボディ・マインドが頑張るのをやめて、「あ〜もう、力を抜いてしまおう」って脱力した時、つまり、ぎゅっと縮こまっているモノが開いていくとき、そこにプレゼンスつまりは無が入り、そちらの領域がボディ・マインドに広がります。 *うん、言葉が変だけど、そのまんま。

思考と離れてくる、つまり、質問が出なくなるんですね。質問を考えるのも億劫。不幸のストーリーと離れます。

覚者のトークは思考で聴きつづけている限り、理解しようとしつづけている限りは、その思考をフル回転させ同一化しつづけます。

最近、大和田菜穂さんやらじゅんころさんのトークを聞いていて、確かに話していることはエックハルトのそれをダイレクトに表現しているのですが、臨在ビーム感がない。若干、菜穂ちゃん(勝手にちゃん付けでごめんね)はサットサンでそんな雰囲気はあるんだけどね。

僕が話の内容に気を取られているだけなのかも知れないけれども。

「私はいない」っていうのは真実を表す言葉なのかも知れないけれども、マインドでいきなり聞くと「はあ?」となるのは当然のこと。「はぁ?」となったら、マインドが硬くなって余計、開かなくなっちゃうね。興味津々になって「それを理解してやろう!」って頑張っちゃうかも。

その努力を落とす、くつろいでいくのが、彼女たちの指ししめす方向。まあ、逆にマインドを疲れさせて落とすというパターンもあるだろうけれども。

マインドのクラック・オープン。これ、何かをしていくというのではなくて、何かをしていくのをやめていく方向です。寝るのに近いけれども、目だけは閉じないでそのままぱっちり起き続ける感じ。

これはマインドの防衛システムで、結構難しいところでもあります。これ知っている自分でさえ、わけのわからない恐怖心が出て邪魔したりします。理由がない恐れです。陸上にいるのに、水の中に浮かんでいくような、床に座っているのに空中にダイブしていくような、それに近いかも知れません。

体の感覚を直に感じるような感じで、体のヒーリングに良いです。

ニュー・アース Kindle版エックハルト トール (著) (Amazon)

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