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【非二元】断捨離の「空間を置く」意味

   

先日、10分ほど断捨離した後のFAX台。

写真撮ってウットリ(笑)。

無駄にあった花瓶、ハンコ類、使い勝手の悪いメモ帳、ペンを処分し、FAX機に残っていた要らない留守電二件を消去し(笑)、空間を置きました

この「空間を置く」という言葉、よく断捨離で聞きます。

上の写真のようなモノだらけの部屋、何を感じます?

ボクの場合は、色々なモノの情報が視界に入ってきて、刺激が強いです。

こちらは今日、Pinterestで見つけたお部屋

モノが少なく、低刺激。スッキリ。

コーヒーテーブルの上には一つだけモノが中央に置かれていて、その周囲には何もありません。

これが「空間を置く」ということで、あえて空間を置くことでモノがより厳選されたものとして引き立って見えます。

まあ、ここまでが普通の断捨離の考えなのですが、これを非二元的な観点からすると、

モノ マインド、思考、感情、身体、モノ・コト=エゴの自分
空間 空、何にもないこと、源、言葉を超えたモノ=本当の自分

とも置き換えられます。

ボクはヒーリング、悟り関係に携わってきたのですが、

本来の癒しは、「思考・感情・身体」に「無」の源泉から流れ込むものが広がる時です。

単なる「お片づけ」はAにあるものをBに移動させるだけというのが「モノ」のレベルでの処理に過ぎません。「空間」の広がりがありません。

本当の意味での断捨離が他人にやってもらうことができないのがここにあるのですが、水平方向のお片づけは単なるモノの移動として他人がサポートはできますが、垂直方向へと落下することは断捨離をする本人しかできません。

サポーターはせいぜい、その垂直方向を指し示すことができるぐらいで、あとは断捨離をする人が実際に垂直方向へと向かうかどうかにかかっています。

「空間を置く」というのは、つまり、「無」である本来の自分の表れです

禅寺などにそこに凛とした空気が流れるのも、不要なモノ、無駄、マインドを削ぎ落としたからです。

つまりはそれは瞑想であり、モノ(=マインド、エゴ)の軸から本来の自分の軸への領土回復です。

少し補足すると、モノの量は関係なく、そのモノに対して意識的であるか無意識かが重要です。

モノが多くてもスッキリとした感覚や躍動感を感じる意図的な場所もありますし、モノが少なくても停滞感を感じる無意識な場所もあります。

その判断は「こんまり」先生のトキメキですね。

スパーク・ジョイ(Spark Joy)

トキメク100個のモノであれば、トキめかない1個のモノがある空間よりイキイキとしてます。

非二元が断捨離と共通点がたくさんあるなぁと感じたので記事にしてみました。

自宅を断捨離していて、それが結局はヒーリングスポット作りをしているのと同じだと気づきました。

遠くのお寺とかヒーリングスポットに行かないで済むんです(笑)。

 - Minimalist, Non-duality